「回復する」ということ

今日は少し真面目な治療についてのお話です。

東洋医学、西洋医学はさておき、「回復する」とはどういうことかということについて。

鍼灸に限らず治療を必要とするとき、必ず何らかの不調が生じているはずです。そのため、「治療」というと壊れた物を直すイメージに近い方が多いかもしれません。

不調が生じていると、不快なので、できるだけ早く回復したいという気持ちもあって当然のことと思います。

では、不調が現れても、すぐに回復することが本当にいいことなのでしょうか?

勿論、いたずらに不調を長引かせる必要はありませんが、不調が現れるということは、心身にかかった負荷を軽減させるためにバランスをとろうと努力した結果でもあります。かかっている負荷をすぐに減らせるとよいのですが、なかなかそうもいかないとき、バランスをとろうと無理して頑張っているところに不調や不具合が現れやすいので、そこが頑張らなくてすむような対策を考えることが重要です。それでも、頑張り癖のついているところはついつい頑張ってしまうので、その癖を見直す必要もあるわけです。これが養生といわれるものです。

治療で不調から劇的に回復できたとしても、この養生が悪ければ、同じことの繰り返しです。症状というのはこれまでの癖や習慣を見直した方がよいというサインでもあるので、治療で心身の立て直しをして、冷静に物事を考えられるコンディションが整ったら、同じことを繰り返さないためにはどうしたらいいかという対策を練ることが大事です。

治療と養生、この両輪が回復にとって重要です。

養生の際、不調な場所があれば意識せずともそこに負荷をかけまいとすることができます。そのように不調にも意味があるのではないででょうか。

個人的には、劇的な回復よりも、「そういえば以前より不調を感じることが少なくなったな」という穏やかな回復の方が心身にとってちょうどいいペースではないかと常々思っています。